検索記録

本当に死にたい

死ぬ方法

自殺 楽 検索

 

どのワードでも検索して引っかかるのは死ぬ方法ではなく、"死なない"方法。

相談窓口や、専門家の記事が羅列する1ページ目

死に"たい"人にとって果たして、それは効果があるのだろうか?

 

そもそも、そんな事を態々、検索窓に打ち込んでネットの海に潜るような人間は死ぬ方法を探してるわけじゃない。

おそらく、多分、きっと。

"死なないで済む理由"を探しているのだ。

 

意味のないページやテキストを眺め、これではないと鼻で笑い

タブを閉じる。

 

目的があるならば、それ相応の準備、知識、備えを済ませるであろう

自死が目的であれば、そのための知識を、手段を、自分の力で身につけるはずだ。

今は、ネットのおかげでいくらでもほしい時に欲しい情報が手に入るようになった。

勿論、自分はそのような時代にしか生きていないのだけれど。

 

そんな時代に生きて、答えが出ない答えをわざわざ探そうとする。いや、探してないのだろうきっと。

くだらないフィルターを見ながら、失望と安堵を得る。

既のところで自らの生を感じるのだ。

 

あんな"1ページ"目でも意味はあるんだな。

 

 

前借り

幸せと借金は似たようなモノに思う。

 

自分の望む幸せを掴むのに、大抵の人間はそれに見合った努力や覚悟、いわゆる何かしらの犠牲を払ってようやくその幸せを掴む、もしくは維持しているんだと思う。

その支払いサイクルのバランスを壊さないように上手にやりくりしていくのが人として当然の行動なんだろう。

犠牲を支払わず、ただ一時の幸せに溺れる、そしてその怠惰の結果、須らくしてやってくる終わりを迎えたときに

絶望が"利息"として襲いかかってくる

 

というのを最近考えていた

努力をしてこなかったもの、していないもの、余裕がないもの

幸せを望んではだめなのだ。

ましてや、大切な人と一緒にいたいなど烏滸がましいにも程がある

存在するだけでそのものが負債なのだ

恨まれて蔑まれて生きているような人間がどうして人と一緒に居られようか?

浮かれていた。自分はこの人となら幸せになれる、かわれるのだと

結局、何一つ変わらなかった今までと同じだった。

前借りした幸せに自分だけ溺れていただけだった。

溺れ搦まり、気づけばまた一人

世間にとって、「誰か」にとってどうでもいい存在にまた戻っただけだった。

 

食卓に並ぶ料理が「誰か」、のために変わってしまうことが一番辛いことに気がついた。

 

本当に早く死んでしまいたいと毎日思いながら生きながらえている。

理想的な死で言えば、轢かれそうな子猫もしくは子供を救って死ぬのだ。

この後に及んで誰かに認められて死にたいと思ってる自分に辟易とする。

毎日そんなことを考えながら短い眠りにつく。

 

ご利用ご返済は計画的に。

明るい話

最近暗くてジメジメした記事ばかりだったのでたまには前向きな事書こうと思いました

このブログ初めて3記事目くらいまでは明るかったよな多分。

 

音楽、僕は音楽が好き

自分がやってたのもあるけど聴くのも見るのも大好き。

ただいつしか、胸を張って好きと言えなくなってる自分がいた

歳を重ねて気づき始めた色んな出来ないことやらないといけない事、染み込まれていくあれやこれや様々な毒。

学生の頃にステージやバンドマンから直に受けてた感動、憧れがどんどんと滲んでいく感覚があった

もちろん自分という人間も含めて

それでも音楽には罪はない。

好きな曲を聴くたびにいつもあの時の感動を思い出す

自分の場合、好きな曲だけど毎日リピートするわけではない

ないのだけれど、たまに聴くと

まるで、レコードに落とされる針がノウミソの細かいシワをなぞるように

衝撃、感動、涙、光景、人々、時には匂いを思い出させてくれる。

僕にとって音楽の何が好きかって

嫌な気持ちに一つもならないところだ

わけも分からず叫んで、悲しくないのに流れた涙

あの狭いホールの上で出会えた人たち

どれもこれもかけがえのない思い出、僕の中の唯一綺麗な部分といっても過言ではないと思う。

音楽から離れて数年経つけど、なおさら実感する。

だから最近僕は「ライブハウス」を建てたいと思うようになった

田舎のクソガキが新しい世界を知ったように

たくさんの人たちが出会える場を作りたい。

プレーヤーにはなれなかった、いやその表現ですらも怪訝に思う人がきっと居てしまうような結果と現実にはなったけど

やっぱり自分と同じような感動を何も知らない子達に伝えたい

音楽だけでなく、たくさんの想いが詰まった「作品」を作り上げる素敵な人たちがこんなにいるんだというのを知れるきっかけを与えたい

 

そういう事を最近考えるようになりました

なんとなく頭の中でこの人と働けたら楽しいだろうなあとか妄想しながら。

もちろん借金、その他いろいろな問題を抱えた自分が望めるような状況ではないですが

今、どん底に落ちたからこそふと浮かんだ事でした。

でも本当に楽しいんだろうなあ

いつしかたくさんの「好き」がつまった場所をつくれるといいな

 

おやすみなさい

レゾンデートル

友を裏切り、恋人を裏切り、血の繋がった家族まで裏切り

自分はなんの為に生きているのだろうか

そもそも何で裏切ったんだっけ

日常的になり、いつしか習慣化されたその行動は自分にとって息をするのと同義、というところまできていた。

適当な口上を並べ、情を惹き、出来もしない未来を語る

きっと怪しいネットワークビジネスの世界では活躍できたんだろうな。

こんなはずでは無かった。

こんな自分でも心の10%ほどはギリ人ではあようで、それが余計に自分の首を苦しめている。

相手を陥れることだけ考えられる人であれば苦ではないのだろう。

息を吸い、嘘を吐き、それを心の自分が嫌悪する

自分も周りも守るためだと言い聞かせるが

それすらも根拠のないその場しのぎの言葉

こんなはずでは無かった

素直に生きてきた人生だった

通信簿に素直で明るく優しい名前の通りの人柄だと書いてくれた先生は今僕を見て何と言うだろうか

自分のためにも人のためにも生きれない

レゾンデートルとは何なのか。

明日も小さなレンズを眺めながら一人で考え込む事だろう

おやすみなさい

結び目

ほぼ自傷行為に等しいその行動は前を進んでいるつもりが後ろ向きに歩いていた。

完全に鬱に戻ってしまっている。

後悔と反省を繰り返し、泥濘んだ沼を歩く。

四方八方から伸びる影が24時間ずっとまとわりついてくる。

深夜4時、職場に一本の電話

腹痛で休みます。

電話を切り、一分前まで腹で渦巻いていたような気がした痛みを一時的に抑える。

結局これがボディーブローのようにじわじわきいてくるのは何度も経験しているのに。

休んだところで何も変わらない、止まらない取り立て、かつて幸せを結んだ人からの罵詈雑言、親からの「まっすぐ」な言葉

その全てに対応しきれなくなった。

無料マッチングアプリで知り合った女に泣きながら食料がないとすがりつき、買ってもらった食料を抱え帰宅。

誰も居ない3dk、一人では持て余すこの部屋を見渡し少し前のことを思い出す。

ビニール袋パンパンの食材を放置したまま、足元に散らかっていたネクタイをカーテンレールに固く結びつける。

死ねるはずもない、わかっていたが何か変わるのかと

ロープに見立てたその輪っかから首への圧力を感じてみた。

地面につま先はついている。

 

人生初の自殺未遂未遂はわずか10秒で終わった。

馬鹿らしく虚しくなったのだ。

 

地元の友達に連絡をとってみた

仲はいいが連絡をしてなかった随分と久しぶりの連絡だった。

子供が生まれて結婚するらしい。

心から友の幸せを祝福した。

 

こんな状態でも人の幸せだけは素直に喜べるのは長所なのだろうか

自分に対しては諦めがついている。

資格がないとまでいわれてしまったのだからそうだろう。

 

カーテンレールにぶら下がったままの「勇気」を眺めながら

頭の中で結び目をひとつほどいて眠りに就いた。

 

 

摩耗

グミチョコレートパイン

グミチョコレートパイン

どんどんと前に進む周りを眺めながら

僕は最初のグーすら出せないでいる。

焦りはあった

焦ってたほうがまだ良かった

焦りはいつしか諦めに変わり、自分の値付けを自分の中で終わらせていた。

社会の歯車にどうしてもなれない、あの頃は自分が歯車の中心だと思っていた。

周りが自分に合わせ、噛み合い循環していくものだと

気づけば回らないガラク

 

少しのズレが個性だと思っていた

少しずつ、少しずつ、削れていく側面はいつしか摩耗しきり

誰とも噛み合わなくなっていた

一人、廻り続けるも廻り方がわからない。

次第に廻ることもなくなっていった

周り廻る、間を割り、明るい夜と暗い朝の間で廻っているフリをする

順回転、逆回転を交互に繰り返し、カーテンの隙間から光が差し込む頃にはスタート地点へ。

周回遅れはもう取り戻せそうにもない。

 

夜のラブパンクを抱きしめ、ミラーボールの下で流した涙と汗

狭くて暗いのにずっと僕を照らし続けてくれたあの頃が今は視界を眩かせる。

これはおそらくミラーボールの回転でも、周りの廻転でもない。

きっと自分自身のブレのせいだと

 

 

僕は本当に心の底から自分の周りの人間が好きだ

自分に関わってくれた人ほとんど全員好きだと思う。

嫌いな人で頭に思い浮かぶような人間はいない

何を言っても嘘にしかならない自分の中で唯一本当の部分

だからその人たちが幸せになってるのを見るとすごく嬉しい

 

同時に関わらないほうがいいんだろうなと思ってしまう

野良犬や猫と同等だと言われ、自分の存在価値を好きだった人に否定され

いつの間にか自分で自分の立ち位置を決めてしまっていた

自分が関わることでプラスになることがその人にとって何一つない

もちろんそういった現状を作り出してる自分に原因がある

考えや行動、もうその全てが自分のせいなのはわかってる

下半身がどっぷりと浸かりきっている底なし沼でアヒルのようにジタバタと必死で足を動かし、

かろうじては体を現世に残して何とか大好きな人たちと関わろうともがいてる

今のままならそれすらも迷惑になってしまうんだろうな。

 

どうか周りの人が幸せであるように願ってる。

自分もどうか、もがかなくてすむように、変わりたいな

変わりたいなじゃなくて変わらないと駄目なんだけど

難しい。

 

頭の中が毎日ぐちゃぐちゃで先のことがみれない

もう背中を押してくれる人も少なくなったなあ

落ちぶれるのは簡単だ